資格に勝るのは?それは考え方を身に付ける事!役立つ情報提供を目指します

地域包括ケアシステム・・・実現は困難???

2018年08月07日 01:12

介護の学校 管理者養成コースにようこそ。


世間的にはお盆休みでしょうか、通勤の電車が空いております。私たち介護従事者には「夏休み」はありません。それはそうですよね、利用者さんの生活のサポートなんですもの。しかしならが、病院お盆休みとなりますので、急な体調不良の相談は困りますよね。かかりつけの病院が長期の休診となる・・・何て人も多いでしょう。くれぐれも内服薬がない!何て事がないよう気を付けましょう。お盆休みが明けたら、私たちも休暇を楽しめるとよいですね。


 


さて、先日体験した腹立たしい体験を報告させて下さい。私の施設にて生活されている利用者さんのお話です。その方は女性。腰椎圧迫骨折の既往がありますが、数カ月前の骨折なので現在でもシルバーカーを使用し近隣での日用品のお買い物日々を楽しまれております。しかし、そんな利用者さんに変化が生じました。


 


事務所の私を訪ねてこられ「腰が痛いのだけど・・・」との相談を受けることが増えてきました。最初は4.5日間隔であった相談が、2.3日、1日毎とその間隔と頻度に変化がみられました。私は担当CMに報告、家族に現状を報告いたしました。その結果、腰椎のある部分がつぶれている・・・との結果であったようです。


 


利用者さんは、認知症を患っておりますが、中核症状の短期記憶の記銘・想起にわずかな問題を抱えてはいますが、近隣のスーパーの往復の道順を習得されたり、他の入居者さんの名前を覚え会話を楽しんだりと、認知症の定義から言えば、日常生活に大きな支障はない方であると認識しています。(サービス付き高齢者向け住宅に居住中)


 


利用者さんは、私の施設で多くの介護サービスを利用されているわけではありません。朝.夕ある薬の「声掛け」のみの支援を必要とされるだけで、朝食作りや日常生活必需品の購入、洗濯や掃除等の家事はすべて自分でされております。ただ薬だけ、「私飲みましたっけ?」と訪問する職員に毎度確認をされるのです。


 


この利用者さんをこれまで2度ほど、近隣の交番に迎えに行った事があります。施設より徒歩10分程度のスーパーに行き、そこから更に10分程度の場所のスーパーに行ったが、戻り道が不明となり、目についた交番にSOS依頼をされたようです。私が交番に迎えに行くと「すみません、ご迷惑をかけて本当にもうしわけない」と同様の謝罪の言葉を本人様から頂きましが、「大丈夫ですよ」とお答えしております。交番のおまわりさんも寛大であり「よかったですね」と利用者さんに言葉をかけてくださり、決した「一人で出たら駄目ですよ」何て言い方はされませんでした。


 



私が「大丈夫ですよ」と利用者さんに伝えたのは、別に私が「出来た人間」だからではありません。「ダメ」と言おうが、むしろ「ダメですよ」と言う方がマイナスな事が多いと思っているからです。①ダメ・・・と言う人に対し失敗を隠すようになる。②ダメと言う人は「自分を認めない存在」だと認識され、結果、相談をしてくれなくなる。さらに家が、「ダメ」と伝えたところで変わるはずもないと思っているからです。それよりも、困ったときに相談に来てくれる(薬の相談が現にその証拠だと思っています)。それが一番大切であり、そのような対応を、きっと本人様は期待をされている・・・と想像するからです。


 



その利用者さんが先日家族様付き添いにて病院に行った事がありました。それは現在の腰痛の原因を相談した整形外科です。利用者さんはその日の腰の状態が辛かったのでしょう。お一人で徒歩20分程度の〇〇整形外科に受診をされ、以前に受けた「マッサージ治療」がよほど気持ち良く、記憶に残ったのでしょう。お一人でこの炎天下シルバーカーをおして、家族さん付き添いにて1度だけ行った整形外科への道のりを歩いた記憶を頼りに受診をされたのです。


 


 


その日、〇〇整形外科より私あてに電話を頂きました。〇〇さんが今病院に来られているが一人では返せないので迎えに来てくださいとの事。その連絡は職員を介して確認しました。私が病院に到着すると、看護師さんから「認知症の方をお宅の施設はお一人で外出をさせるのですか?」と質問されました。担当の先生からも「君は痴ほう症をしっているのか?」とこうです。さすがにムカッ!としたので「先生、私は高齢者施設の職員ですよ・・」とだけお返事しました。


 


利用者さんはマッサージを受けた後らしく、満足げな表情でありましたが迎えにきたのであろう私をみて「私、また何かご迷惑をかけたのでしょうか?」と心配そうに言われたのです。


 


現在介護保険制度では、「地域密着ケアシステム」との言葉が推奨されており、核家族・高齢世帯・介護離職等の様々な課題。認知症等のより複雑化する対応を「介護保険制度」のみでは賄えない・・・との理由もあり「地域で支える」「公的サービスのみではなくあらゆる社会資源を活用する」に方向転換するも、「住み慣れた地域での自立した生活」の実現に向かっています。介護保険制度は主治医を頂点とし、医療サービスや介護サービス、またはボランティアや保健制度を活用し、介護支援専門員はそのチームを束ね、コーディネートしているのですが、いまだこのような「先生」が多いことが残念です。


 



確かに日々の酷暑、長時間の屋外での運動は時に生命に危機をもたらす事もあるやもしれませんが、仮にも医師です。例え専門外の整形の先生であっても、記憶にあいまいさがある・・・が認知症。一人での行動は慎むべき。と考えるのは如何なものでしょうか?では認知症患者が有する能力とは何か?認知症と診断されたすべての人は、一人で住み慣れた地域ですら外出する事が禁じられるべきなのでしょうか?


 

 


このような対応、認識が認知症の理解を歪ませ、差別や間違った対応の元凶であると私は考えます。私が正しい・・・とは言いませんが、利用者さんがもしもあなたの「母親」であったならば・・・皆さんはどう思われますか?


 


 


サイト内検索

お問い合わせ先

nawata takao メールでのご連絡を希望。
ご意見やご感想お待ちしております。